食文化史・食物史に興味があります。
だいたい学校で習ったことって役に立たないことが多いなぁと
この分野について調べていると痛感します。
前線で活躍されている方の本は、とても刺激的ですが。
網野善彦さんの一連の著作は多方面に渡る上
とても示唆に富むもので極力読むようにしています。
考古学の森浩一さんとの対談のなかでブドウについて少し触れているんですが、
従来、奈良時代くらいと言われているブドウの伝来は
実際には古墳時代くらいにまで遡れるのではと言ってます。
この場合、山ブドウ系ではなくシルクロードを通り
中国経由で伝わったブドウです。
当時の「渤海」という国との結びつきなどを考えての発言で、
現在、渤海のあったあたりは中国でのワイン用ブドウの一大産地です。
有名な海獣葡萄鏡は隋・唐の時代くらい。
織田信長は「珍陀酒」と呼ばれるポルトガルのワインを飲んでいたそうですし
江戸期には、京都に渤海という名の人が住んでおり
ブドウ栽培に携わっていたそう。
食文化を語る際、どうしてもコメに集中しやすいのですが
少し視点をずらすと案外分かっていないことの方が多かったりします。
特に江戸期のコメは食べ物であると同時に貨幣的な性格も持っています。
クリ、クルミ、柿、桃、桑、漆もとても重要ですし、
縄文期の遺跡である青森県の三内丸山遺跡で見つかったように
コメの酒より山ブドウやニワトコを使った果実酒の方が歴史は古いようです。

ginger decadence
所用で池田まで行くことになり、運動不足解消ということで自転車で向かい
帰りに少々豊中で寄り道して念願のお店に行ってきました。
ある意味コーヒー界のナジャ(塚口)かも?
あまりにも暑かったので冷たいのにしましたが、
読んでるだけで面白そうだったので、
いろいろ味わいにまた行くつもり。
(私信)ご馳走様でした&フォローありがとうございます。美味しかったです。
文化遺産ライブラリーにワイン関連の施設が載っていました。
日本のワイン受容の歴史についてはいつか調べたいのでその備忘録として。
資料を読んでいると面白いんです。
麻井宇介さんの「ワインづくりの思想」によると、
明治13年に国策で創立された播州葡萄園の葡萄品種は、
外来の64品種と甲州、聚楽の二品種で
ブラック・ジンフヰンダル、ブラック・ハンボルグ、ボルドヲ・ノワアルが
生育良好だったそうです。
品種名が最近のように呼ばれるようになったのは意外と新しいことがわかります。
以下、文化遺産ライブラリー内の資料です。
播州葡萄園跡
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=192692
葡萄酒資料館(旧宮崎第二醸造所)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=138238
勝沼のぶどう栽培用具及び葡萄酒醸造用具
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=208170
葡萄酒貯蔵庫(龍憲セラー)
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=112924
ルミエール旧地下発酵槽
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=113414
岩乃原葡萄園第一號石蔵
http://bunka.nii.ac.jp/SearchDetail.do?heritageId=142968
玉村豊男さんが1980年に書いた本のタイトルで
ながらく絶版状態だったのですが
最近、中央公論新社から文庫版が出ました。
最初に、いろんな料理を取り上げて、
洒脱な文章とともに境界線をいくつも横断しながら考察し、
最後に料理の構造を、火を頂点とし、
空気、水、油を底辺とした四面体を用い説明しています。
焼く、炒める、煎る、
煮る、炊く、ゆでる、
揚げる
なじみのある料理法ですが、
違いについて、関係項についてすこし考えていくと
実は程度の違いで、本質的には同じではと思えたりと
なかなか面白いです。
指と手と腕の境界線が曖昧なように、このあたりは言語の曖昧さと密接に結びついています。
レシピを見たり、実際に食べたりして、
あれこれ料理について考えていると、
不思議なことに、国や地域関係なく
これって、あの料理と同じでは?とか
あの料理のここを変形・変換すればこれになるのでは?とか
思うようになりました。
ミネストローネとカレーと味噌汁、
米と大豆の関係と、小麦と肉の関係は、
僕からすると同じ構造を持っているように思われます。
クロード・レヴィ=ストロースが神話論理だけでなく、
いろんな著作の中でとりあげた
「料理の三角形」を踏まえた著作ですが
神話論理ほど難しくありません。
興味のある方は一度読んで欲しいなと思います。
料理について考えていると
見てくれや職人芸よりも
その料理の持つ構造と文化との関係性に興味が行くようになりました。
料理・食文化に携わる方には
柳田国男、宮本常一、中尾佐助、佐原真、江原恵、篠田統などの
一連の著作はかなり示唆的で是非読んで欲しいなと思っています。
たんなる思いつきで作られた料理は別ですが
しっかりと考えて作られた料理は、それらの本を読んでいると
とても面白いです。
ワインに関して言うと、麻井宇介さんの試みもかなりかぶるところがあります。
おいしさの先にあるもの、背後に存在するものへの興味はつきません。
味覚への挑戦であるとともに、文化への挑戦でもあります。
ザ・大衆食でおなじみの大衆食堂の詩人エンテツさんこと、遠藤哲夫さんが
3月にシンポジウム出席のため大阪に来られます。
興味のある方は、いかがでしょうか?
エンテツさんとは、生活料理・料理史家の江原恵さんつながりで
知り合ったのですが、現在の食文化・消費文化の行方を考える際に
とても示唆に富む文章を書いておられます。
今回は、新進気鋭の社会学者五十嵐泰正さんとの対談なので面白そうです。
以下、公式案内の転載です。
シンポジウム「場所の力――歩きながら考える」
2007年7月、他者の記憶を聴き取り、朗読する舞台「こころのたねとして」が、フェスティバルゲートにおいて開催された。この試みは、2008年 4月に文庫本『こころのたねとして――記憶と社会をつなぐアートプロジェクト』として書籍化され、いまもなお継続されている。これらの取り組みのなかで、 次第に明らかになったことがある。他者のこころのなかにある記憶を引き出し表現するという営みは、「場所の力」を呼び覚ます試みにほかならない。そして、 呼び覚まされた「場所の力」は、他者と共に生きるための手がかりとなることを、わたしたちは確信している。とはいえ、「場所の力」とは一体なにか、と問わ れたとき、そこに単一の答えがあるわけではない。その言葉の意味は、さまざまな定義に開かれた状況にあってこそ、多様な実践のなかで豊潤なものになってい くだろう。文庫本『こころのたねとして』においては、「場所の力」と題する章を設け、都市研究やプランニング、メディア研究といった、分野の異なる研究者 と協働をおこない「場所」をめぐる考察を展開した。本シンポジウムは、さらに多様な立場の研究者/実践者との対話のなかで、場所の力をめぐる議論を社会化 する試みである。
でもね。思考や実践というものは、目的地のない歩行のように、あちらこちら紆余曲折するものなのですよ。このシンポジウムもまた、そうでありたいと思います。いっしょに散歩に出かけましょう。
◇3月7日(土) 13:00〜18:00 入場無料
会場:大阪市立大学都市研究プラザ高原記念館
大阪市住吉区杉本3-3-13大阪市住吉区杉本3-3-138
tel.06-6605-2071
アクセス:JR阪和線杉本町駅から徒歩5分
地下鉄御堂筋線我孫子駅から徒歩20分
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10月1日発売の雑誌ミーツリージョナルは
「週イチでも通いたい自腹レストラン」
知り合いの店がいっぱい載ってて、
これだけでおなかいっぱいになりそう。
なんといっても表紙が、ル・カネトンの田代さん。
いい顔して写っています。
春にギャリさんの畑に一緒に行った
有香さんのワインバー レ・クルール。
スタッフの智恵さんは、うちのお馴染みさんにつれられて
パセミヤに来たことがあったり。
アマンジアの森さんの奥さんは、実家が庄内だったり、
珍しく新地の弘屋さんが載っていたり
北浜の巨匠の店トォルトゥーガはスタッフの三好さんが取り上げられてたり。
ギャリさんの野菜を使い始めたボッチオさんも載っているしで、
見ていてとっても楽しいです。
あ〜みんなの店に食べに行きたくなってきた。
大阪なんで行けそうにないですが、
ワインを通じてパセミヤにお越しいただくようになった
フォトグラファーの所さんの写真展が東京で開催されています。
関東方面にお住まいの方、いかがでしょうか?
普段見慣れた街の景色が違って見えるのでは。
所さんの新境地。
プレスリリースより
テーマは「ワンセコンド(1秒) 瞬間と永遠」
渋谷の駅周辺の風景(あくまで主役は風景、建築物)の なかで
自分では一瞬もそこにとどまれない儚い存在である人間や(人間が走らせてる)車を
使って、建物は動かないけれどそこに生きて存在する人間たちを空気のように扱う事で
生き物のように変貌して行く今の街を表現するために 、
トコロスタイルのランドスケープ
1sec(ワンセコンド)というシリーズを撮り始めました。
詳しくは会場で見て体感してください。
瞬間と永遠がそこにはあります。
その序章としての「渋谷1sec(ワンセコンド)瞬間と永遠」写真展を
開催します。時代の証人になっていただければと思います。
場所
Gallery Conceal Shibuya 4F
ギャラリーコンシール渋谷
〒150-0043
東京都渋谷区道玄坂1-11-3 4F
TEL/FAX:03.3463.0720
MAIL:
conceal@renovationplanning.co.jp
OPEN:11:00 – 23:00
日時
2008/9/28(日)〜10/4(土)
「出星前夜」小学館 刊
飯嶋和一さんの新作です。
扱っているのは一般的に言う島原の乱ではありますが、
飯嶋さんらしく、細部を丁寧におさえながら積み重ねて行くスタイルで、
あぁ、やっぱりこの方の小説は好きだなぁと再認識。
近年、島原の乱については、
単なる禁教にたいするキリシタンによる反乱ではなく、
幕藩体制における諸領地経営の実態や飢饉など
様々な要素が混交しあい大きな事件へと発展したと考えられています。
天草四郎についての描写がかなり素っ気ないものに感じるのは
そのあたりの成果をふまえているものと思われます。
領主に対し反乱を起こし、城に立てこもり
結果として、三万八千人にものぼる住民がほぼ全滅させられ
ひとつの地域が滅亡させられたという歴史的事実を、
いくつもの線をひきながら、小さな流れが集まり
次第に大きなうねりとなり、個人ではどうする事も出来ない
布置へと結実して行く様を、淡々と叙述して行きます。
明確な主人公はいませんが、今回も魅力的な人物が出てきます。
物語、とりわけ大きな物語に対する抵抗感というか違和感が
僕はとても強いので小説ってほとんど読まないのですが、
この方だけは別です。
島原の乱をあつかった小説としては、
堀田善衛さんの「海鳴りの底から」と双璧をなすのではと思えます。
江戸期は、最近ではともすれば理想郷のように持ち上げられやすいですが、実際には、身分制や移動の制限や、一揆などまだまだわからない事柄も多 く、常に歴史の読み直しが行われているので、こういった総決算的な形でまとめて世界像を提示していくのはなかなか難しいと思いますが、著者の力量のすごさ を改めて思い知りました。
次読めるのは何年後なんだろう・・・。

「私は日頃思う、頭で考えるより体で行う中で識(し)ろう、インド人がはだしで土を踏む様な心で絵をかこう」(秋野不矩)
先日の休みに京都で開催されている「秋野不矩」展に行ってきました。
静岡にある秋野不矩美術館を設計したのが、大好きな藤森照信でそのつながりで秋野不矩さんのことを知りました。
50をすぎてインドと出会い描き続けた作品群をまとめて見れる機会はそうそうないので京都へと。
印象的だったのは、「渡河」と「ガンガー」。
広大な河の流れの中で泳ぐ牛の姿はとても印象的です。
日本画家でありながら、花鳥風月から遠く離れたところにいる秋野不矩の描く絵を眺めてると、かたちと色彩が渾然一体となってひとつの世界を生み出して居て、なにかを声高に主張するでもなく、ただそこにあるものをあるがままに描いてて、生きる営みと生きられた時間がゆっくりと砂のように堆積しているかのようで面白かったです。
写真で見る限り、秋野不矩さんは、とってもおちゃめなおばちゃんといった風情でした。福音館書店の一寸法師や浦島太郎などの絵本の挿絵も描いておられるので、気付かずに目にしたことのある方も居てるかも。
静岡の美術館で見てみたいなぁと思いました。
はだしで大理石の上に寝転がりながらゆっくりと見ると絵画の生み出す空間の中にとけ込めそうです。
美の巨人たち 秋野不矩「オリッサの寺院」
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/050827.htm

先日の水曜日は 大人の遠足。
中津のオレンチくんと、日本橋のワインショップFUJIMARUのF井さんファミリー、クレヨンハウス大阪店のyusukeくんペア、友人の和食の板前の総勢7名プラス子供1人で、三田のGGFARMさんの畑を見学に行ってきました。
GGFARMさんは、バイオダイナミック農法をベースにサスティナブル(環境保全式循環型)農法 や自然農法を独自に研究し、組み合わせてバラエティに富んださまざまな野菜を育てておられます。普段見慣れない野菜も多いですが、ギャリさん曰く、無理な品種改良をしていないため原種の形質をより多く残しており味わいがしっかりとしてて美味しいそうです。
(注:一般の方の見学を引き受けておられる訳ではないので通常は非公開です。)
昨年の秋に初めて訪れた時は、そこで構築されている環境があまりにも衝撃的で、またとても魅力的で、農業に対する感覚が現在の大多数の日本人と違うんだと思いました。
結局、米しか栽培しない、人参しか栽培しない、トマトしか栽培しないという、集約的な農法はかなり産業的な性格を持つもので、決して自然ではないんだと思いました。
土を作り、種を植えるということから、人と自然環境との対話は 始まるにしても、その目的と方法と実現される環境がギャリさんの実践されている農法に関して言うと、より多面的で複合的かつ総合的なんだと思います。
昨年訪問した時に比べ、各種の作物の混在 のさせ方が整理され慣れてきているように感じました。一つの区画に4〜5種類の野菜の畝が存在しているのはとても興味深いです。
それぞれの作物の生育時に必要な要素をふまえた上で思慮深く組み合わせているので、一見無造作な栽培に見えてもお互いが阻害することなく栽培上の困難であったり欠点を相補いあいながら小さな世界を構築しているかのようです。
そしてその小さな世界同士が複雑に組み合わさり、より大きな世界となっている点が、
とてもエキサイティングです。
ミクロコスモスとマクロコスモスの照応関係とでも申しましょうか。
ギャリさんの畑にたつと特権的に何かが存在するのではなく、共時的にすべてのものが連鎖しながら存在しているんだということがとても強く感じられます。
単なる食材の一つとしてとらえるのではなく、ひとつずつの野菜から世界を見て行くととても面白いです。
もっと勉強して、ギャリさんのプロジェクトをもっと理解したいし、うまく伝えれるようになりたいなと今回畑を訪れてとても強く思いました。
畑でかじった、山東菜 やタンポポ、チコリの味が帰りの車の中でいつまでも口の中に残っていました。
これから収穫できる野菜の種類も増えてくるのでとても楽しみです。







余談ですが、相変わらず、どれが作物でどれが雑草かわからず「ギャリさんこれは?」と聞いて、「草」って言われること幾度か。
まだまだ修行がたりません。
けどあそこの畑にいてると草だろうがなんだろうがどれも美味しそうに食べることが出来そうに思うんですよ。
自然の中から、何が食べるに適してて、どれが適していないか見分けることも大切な文化なんだなぁと。
お正月に「照葉樹林文化とは何か 東アジアの森が生み出した文明」佐々木高明著、中公新書を読みました。
あ、日本人が日本人に向かって日本人の優秀さを説くような類いの本ではないのでご安心を。
中尾佐助さんに始まる「照葉樹林文化(複合)」仮説の現在の位置づけを簡潔にまとめたもので、巻末の他分野の研究者たちとの照葉樹林文化論の検証もありお得です。
インド以東の、照葉樹林地帯の文化の特徴を、根栽類の水さらし利用、絹、焼畑農業、陸稲の栽培、モチ食、麹酒、納豆など発酵食品の利用とし、 気候や植生を俯瞰した上で、人々の生活基盤を捉えようとするところがとても面白いです。
疑問や批判もありますが、
壮大なスケールで広げられた風呂敷はなかなか刺激的です。
一番のトピックは、やはり稲作の起源で、熱帯性の作物である稲の伝播ルートと栽培技術の発達の過程は未だ良く分かっておらず、様々な仮説が提唱されています。水田稲作と国家や強力な権力の成立の関係はとても魅力的なテーマです。
中尾佐助さんの「料理の起源」や「栽培植物と農耕の起源」はいまでも時々読み直すので
他の人の本も読みたくなりました。
赤坂憲雄さんの書いた、「岡本太郎の見た日本」を読みました。
東北学を提唱し、「いくつもの日本」をキーワードに旺盛な活動を行っている民俗学者です。
岡本太郎は「芸術は爆発だ」という言葉や、奇矯な行動と、
大阪万博の太陽の塔などの特異な作品群で記憶される芸術家なんですが、
その一方で、戦前パリに留学し、マルセル・モースに師事し、
ジョルジュ・バタイユと親交を深め
アセファルに参加していた事は、あまり理解されていません。
マルセル・モースは贈与論などで有名な民族学者で、
文化について考える際に外せない人のうちのひとりです。
「岡本太郎の見た日本」は、そんな民族学者くずれの太郎が
見て、書き残した日本について考察した本です。
実を言うと赤坂憲雄さんて、
とても興味深い活動をされてはいるんですが、
どうも接近の仕方と言うかアプローチと言うか、
文体が合わずに読んでて興ざめすることもあるんですが、
これは岡本太郎の熱に取り憑かれたか
少々冗長で重複するところもあるんですが、
全体として読みやすくとても面白いです。
けど、この本を読まなくても、
岡本太郎を読むだけで十分面白いのが難点か。
縄文の発見、東北やアイヌ、沖縄、韓国に残る
日本列島の文化の古層についての記述であったり、
岡本太郎の引用がやはり凄まじく、また魅了されます。
恐山のイタコであったり、オシラサマであったり、
沖縄の御嶽についての箇所は圧巻です。
1950年代から60年代にかけて、
訪れた各地の印象を書き記す太郎の言葉は、
芸術家ではなく、民族学者のフィールドワークのそれです。
聖と俗、宗教的なるもの。
生活の中にある連綿と続いてきた土俗的な部分を無視し
都合のいいようにソフィスティケートし理想化する事で
単なる綺麗ごとにしか過ぎなくなった凡百の日本文化論と
真っ向から対立します。
読んでてとてもスリリングです。
柳田国男、宮本常一、南方熊楠、岡本太郎、柳宗悦の見た
「日本」てとても気になります。
「クニ」としての日本ではなくね。
岡本太郎の見た日本
赤坂憲雄著、岩波書店
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/7/0223910.html
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